元祖サーフミュージック?サザンオールスターズのデビュー作を振り返る

元祖サーフミュージック?サザンオールスターズのデビュー作を振り返る

人混みを避けるための名目として、海や山に出かける人が多くなった本年。

いろいろと規制はあるものの、例年よりも大繁盛してしまった感のある場所といえば”海”の方ではないだろうか。

日本有数のサーフィンの地である湘南の混雑は、砂浜や道程だけでなく、海にプカプカと浮いている波待ち人たちにまで及んでいる。私は機械的に波に入っていく人々を横目に、その日は海に入るのをやめ、茅ヶ崎方面へと車を走らせた。

ふと、こんなゴミゴミした海にはどんな音が合うかなと、国道沿いの車中でCDを探す。

レゲエ・ミュージックかな?サーフミュージックの雄”ジャック・ジョンソン”といったメロウなムードでもないな。もっと大衆的で、海を感じるモノはないだろうか。茅ヶ崎といえば”suchmos”かな?ちょっとオシャレ過ぎるな。

ようやく辿り着いたのは、むかし母親がよく聴いていた”サザンオールスターズ”だった。たまたま手に取ったデビュー作の「熱い胸さわぎ(1978年発表)」は、我ながら良いチョイスだったと思う。

一曲目のドアタマから「ラーラーラーラララ♪ラーラーラー♪」の勢いのよい歌い出し。昭和の青春時代を過ごした大人たちは、このイントロで熱狂し、サビでは恒例の”合いの手”を打ったに違いない。チンドン屋的というか、一発屋的というか。お茶の間にやってきた歌謡バンドの調べはグイグイと脳内に入ってくる。

“サザンの曲”は知らずとも「勝手にシンドバッド」のメロディと歌詞を脳に刷り込まれている人は多いだろう。かく言う私もそのうちの一人である。

一曲目からサンバのビートがドカスカきたと思えば、一転して、ボサノバ調のバラードが耳にスッと入ってくる。

20代の頃のものとは思えない、大森隆志の”いぶし銀”のようなギタープレイが曲全体を甘美なものにし、桑田佳祐が熱く語りかけてくる歌詞に、ついつい物語の展開を追いかけてしまう。

そして要所要所に散りばめられた「〜別れ話は最後に〜」という原由子の艶のあるコーラスは、桑田佳祐の歌詞の世界観を表現するのに必要不可欠なのだなと改めて感じさせてくれた。

少し飛んで5曲目の「茅ケ崎に背を向けて」においても原由子の存在は絶大だ。耳触り良くかけ合う男女のメロディラインは、いわゆる”デュエット曲”の好例とも言えるだろう。

軽快に刻むドラムのビートも歌声たちを気持ちよくリードし、ドライブにはもってこいのナンバーではないだろうか。

「勝手にシンドバッド」のカップリング曲でもある「当って砕けろ」からも見てとれるが、歌詞の内容の殆どは男女の色恋の話や、桑田佳祐による女性評論ではないかと思う。

「女呼んでブギ」なんかは、顕著にその特色が垣間見えた。少し異質な「レゲエに首ったけ」といったレゲエをモチーフにした楽曲も収録されているが、類に漏れず、レゲエミュージックの対比に「女」というフレーズが持ち出されるところに桑田佳祐の一貫されたキャラクターがうかがえる。

お次の「愛しのフィート」では、ラーメン ラーメン、という歌い出しをサラッとやって退ける桑田佳祐の妙技が冴える。

タイトル通り”リトル・フィート”を思わせる土臭いベースラインにセンスが光り、展開ごとに散りばめられた気の利いたフィルも流石といったところ。そんな息のあったリズム隊のコンビネーションに耳を奪われるが、歌詞の内容は”お正月”を歌ったもの。一見アンバランスな組み合わせだが、耳馴染みのある日本語が、アメリカ風なオケにドハマりして、ついつい口ずさんでしまいたくなる良曲である。

改めて聴くと、現代のサザンよりも、楽曲にチャレンジ精神というか実験的要素を感じるのは、フレッシュさと、全てを吸収しようとする貪欲なアマチュア期のストックが混ざっているからなのだろうか。

現在も十分魅力的ではあるが、国民的大スターになった今の立場では作ることのできないものが、アーリーサザンのレコードにギュッと詰まっているような気がした。

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