「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇う」

「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇う」

「Kind of Blue」の発表時、若き白人ピアニストであったビル・エヴァンスを起用したマイルスは、激しいバッシングを受けた。マイルスの音楽を愛していたアフリカン・アメリカンたちにとって、ジャズは黒人の魂ともいえる音楽だったのだ。打ち付ける豪雨のように止まぬ批判に対し、マイルスはこの言葉を言い放った。

「 いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇う」

あまりにも有名な話かもしれないが、今改めて、この言葉の大切さをにじむように感じている。

マイルスは1949年、初の海外公演でパリへと向かう。たった2週間ほどの滞在であったが、彼の人生をガラリと変えてしまうような出会いが彼を待ち受けていた。のちに世界を牽引するシャンソン歌手となる、ジュリエット・グレコと恋に落ちるのである。

出会いから5年の月日が流れた1954年、ニューヨークでライブを開くことになったグレコは、マイルスをディナーに招待した。しかし、待てども食事は運ばれず、グレコはマイルスが人種差別を受けているのだと気づく。グレコはその現実に涙し、マイルスは「ここは人種差別の国アメリカだ。二度と同じ屈辱を味合わせたくない」と彼女に言った。

「 “ジャズ”は白人に媚びへつらう黒人の言葉だ。使うのをやめるべきだ 」

マイルスはこのような言葉も残している。史上もっとも有名なジャズ・トランぺッターとしても知られ、「モダン・ジャズの帝王」とまで言われる彼が、このような言葉を放った意味を、どうか考えていただきたい。

「ジャズというジャンルはない。ジャズな人がいるだけ」と語っていたのはタモリだが、私は強くこの言葉に同意する。なにがジャズで、なにがジャズでないのか、そういったカテゴライズは実は何の意味もなさないのだろう。音楽をカテゴライズする意味は、日々弱まっているように思う。「Aがジャズである」とはっきり定義することに、どれほどの価値があるだろう?矛盾かもしれないが、私はその行為こそジャズではない、と思ってしまう。

そしてそれはきっと音楽だけの話ではない。人をカテゴライズすることもまた、あまりにもナンセンスなのである。肌の色や性別、そんなカテゴライズ故にどれだけの人間が痛み、虐げられ、命を落としてきたのか。

アメリカだけでは収まらず、世界中で人種差別に対するデモが行われている今日、「 いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇う」 というマイルスの言葉を、何度も反芻するのであった。

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