ジャズが好きでレコード収集に凝ったり、実はT.saxが吹けたりもする僕だが、浅く狭く聴いているせいか、ゆるくジャズに接してきたせいか「ジャズ喫茶」というものに入ったことがなかった。
「ジャズ喫茶」というと、「私語厳禁」「こわい店主や常連客がいる」「一見さんお断り」なんてよく言われるような(いや、ほんとうに言われているのだろうか?)ステレオタイプなイメージを僕も持っていたりして、行ってみたいなーと思いつつ、結局行ったことが無かったのだ。
しかしある時、雑誌で村上春樹がジャズ喫茶について語っているのを見かけた。
「横浜に「ちぐさ」というジャズ喫茶があって、音が本当に素晴らしくて、ずっとそこみたいなしっかりした音でジャズを聴きたいと思っていました」
(Casa Brutus 音のいい部屋。より)
ちぐさ……調べてみると、たしかに横浜にその喫茶店はあるようだ。偶然にも僕の地元、電車1本で行ける距離だ。というわけで行ってみることにしたというのが、ジャズ喫茶初体験までの経緯である。
行ったのは仕事が早く捌けた日。平日の夕方だった。
JR・横浜市営地下鉄の桜木町駅が最寄り、ランドマークタワーがある方とは反対側。大きな通りを渡り繁華街をしばらく歩くと、その角に「ちぐさ」はあった。
昭和8年(!)にスタートしたという老舗。2007年に一度閉店するも、その後常連客やファンが旧店舗近くで再開したのが今の「ちぐさ」だという。
レンガ調の昭和な感じの外観(再オープンは平成だが)。まさにジャズ喫茶という趣き。ここまで来たら意外に気後れせずに中に入れたのを覚えている。むしろ少しワクワクしていたくらいだ。
中に入ると、店内はまさにジャズとコーヒーの為の空間。夜はバーになるという。
大きな年代物のスピーカーに向かい合う形で椅子とテーブルが並んでいる。店内には男性が7、8人、女性が2人ぐらい居ただろうか。じっとスピーカーを見つめる人、コーヒーを飲む人、本を読む人……みんなそれぞれだが静かにジャズに耳をそば立てている。
前から2列目の席にすわりコーヒーを頼んだ。大きな音でジャズが流れているが、小声でささやいたオーダーは聞こえているのだから不思議だ。
スピーカーからは、シングルノートのギターの音が流れている。トランペットが丁寧にソロを吹き上げ、ハイハットの音が後ろのほうでシャリシャリと鳴る。
大きな音でありながらも、耳をつんざくような音ではない。フワッと包み込むような音、それでいて身体に迫ってくるような力強い音だった。
流されるレコードにはどれもプチプチとノイズが入っていて、どのレコードもとてもよく聴きこまれていることがわかる。そのノイズもまた心地良く感じるのだ。
気付けば1時間ほど居ただろうか。店を出るまで、当初抱いていたジャズ喫茶の「なんだか怖そう」というイメージは、一度も思い返すことはなかった。むしろ、やさしい穏やかな空気が流れているように感じられた。
ただ、お店の人がリクエストどうですか?と勧めてくれたとき、ここでなぜか怖気づいて、結構ですと断ってしまったのが唯一の心残りだけれど。